侍と日本刀

日本を一度も訪れたことのない外国人の日本のイメージはおそらく「侍」「刀」「忍者」ではないでしょうか。
確かに昔は侍が日本刀を身につけているのが普通でしたが、現代日本で侍はおろか、日本刀を持ち歩く人は誰もいません。
しかし、日本刀や侍は紛れもなく日本を語る上で欠かすことのできないものです。

侍の歴史は平安時代まで遡ります。
平安時代に身分の高い人々に仕えていた警護要員をいつしか侍と呼ぶようになりました。
刀を持っている男性を基本的に武士と呼んでいた時代ですが、位の高い武士が侍と呼ばれていたようです。
平安時代において侍はお役人と言う立場であり、本来は人に仕えるという意味を持っています。
平安時代が終わり室町時代になると、室町幕府の実験を握っていた「足利一門」に仕える者を侍と呼んでいました。
日本は足利家が滅亡するとともに戦国時代に入ります。
戦が横行する中で、侍と呼ばれる人の定義も徐々に変わり、戦国時代では戦う者の事を侍と呼ぶようになったのです。
平安時代や室町時代、侍と呼ばれるにはそれなりの身分が必要だったのですが、戦国時代の侍は実力主義です。
例え平民の身分であったとしても、実力が高ければ侍になることができました。
時代は変わり、江戸時代になると士農工商が確立されました。
士農工商とは身分制度のことであり、江戸幕府により確立されたものです。
武士(士)が一番身分が高いとされ、次に農民(農)、そのしたに職人(工)、そして一番下の身分として商人(商)と定められました。
この身分制度により、全ての武士が侍と呼ばれるようになったのですが、明治維新により江戸幕府が崩壊したことをきっかけに「侍」は歴史から姿を消しました。

日本刀は日本独自の鍛刀法で作られた日本伝統の刀です。
しかし「日本刀」と呼ばれるようになったのは幕末以降のことであり、それ以前は太刀や打刀など分類で呼ばれていました。
ただ、日本刀の歴史は古く、その原型が作られたのは古墳時代だったと言われています。
古墳時代に東北地方の蝦夷が用いてきた蕨手刀が起源だったようですが、本当のところは今だ解明されていません。
平和な時代から徐々に「戦」が増えてきたことにより、蕨手刀が発展して日本刀になったと言われています。
そのため日本刀を語る上で侍は切っても切れない存在なのです。
戦いをする人、つまり侍が存在しなければ日本刀が作られることはなかったからです。
今もなお日本の国宝とも呼ばれる日本刀が存在するのは侍のおかげなのではないでしょうか。
特に、京都には都が存在していたこともあり、多くの日本刀が存在しています。
当店、武士屋についても日本刀にゆかりのある京都にショールームを設けております。